
20代、記憶の蓋をしてきた苦しかった時期のこと、特に会社員〜辞めてから数年の、過呼吸やら不眠症やらできつかったころに抱えていたものを、東京にいるうちに書いておきたいなあって気持ちがずっとあって、なんどもトライしたんだけどどうにも痛みに触れるので、うまくいかない。
「棚卸し」って言葉がずっと頭のなかで響いてる。それを下ろしたら楽になるのかわからないんだけど、もう十分楽な気がするんだけど、だったらかけるとか思ってタイピングし始めると、いつもみたいに後半にさしかかってもブーストがかかんなくて、ダメだって放り投げた下書き保存がどんどん溜まってる。
今日も書こうと思ったらやっぱり下っ腹が痛くなった。書いているうちに、すごく怒鳴られた時のことを思い出した。
私は感情的に怒ってくる人とか、ぶつけてくる人、やたらと怒鳴り散らす人がすごく怖かった。家族以外の他人からそれを仕向けられると、はてどう言い返したらいいかもわからず、とにかく我慢してたら身体の方が先にダメになった。結局逃げたんだけど、「何が嫌なんだ」って伝えられずに逃げたことへの罪悪感が、そのあともずっと続いた。
私こそ感情的な人間なんだけど、「怒りの感情をぶつけあう範囲や関係性」、みたいなものを明確に決めていて、その範囲内(=家族)ではぶつけられても平気なぶんぶつけてしまうんだけど、そもそも同じ土俵に上がってるもの同士のやり合いなら、ケアとか仲直りの仕方もわかるんだけど。
結局は内弁慶というか、枠外の人に対しては、キレて怒鳴ったことはない。だから他人に一方的に怒鳴られたりするとパニック超えて停止状態、だった。一回やられると夢にまで出てくるし、ひたすら鬼みたいな妄想が止められなくなる。息まで浅くなる。
だから、対処法もわからないまま、私の失敗パターンはその後も続いていった。相手は大抵、面倒見がいいというか、親分肌。あと、意外と気が小さいところもあったりした。だから「怒鳴る」ことも愛情のうちと置換してた可能性が高いし、つい感情が振り切れるタイプの人たちだったんだろうな。今思えば。
初めは仲良くなったり、むしろ気に入られたりして、言われるままに動いたりもするんだけど・・・私もはっきりとものを言えなくて、怒られるのが怖くてその分いい子ぶりたくて、つい風呂敷を開けすぎてしまう。で、相手を期待させてしまってるのか、それも私の自意識過剰か、歯車が合わなくなった時に「ガー」っと感情的にこられるor「去ります」と告げたとたんにやっぱり「ガー」っと来られる→私逃げるってパターンが20代後半に何度かあったんだよね。
ほんとダサいんだけど、屋久島の飲み屋でバイトした時もやっぱり店長にめっちゃ気に入られて、もうその時点で「なんか気に入られている気がする。どうしよう」って思いながらもうだんだんノーが言えなくなってきて勝手にパンパンになって。
午前4時とかに「態度が悪い、お前はこうすればもっと変われる!」ってめっちゃ怒鳴られまくったことがあって、次の日にはもうお腹痛くて動けなくなって。住み込みしてた部屋に置き手紙だけ残してガン泣きしながらザック背負って逃げたことがあったんだよ。26歳だった。つかあのとき2ヶ月勤めてバイト代貰ってないし、だけどもう逃げられるならなんでもいいやみたいな。
なんかいまだに笑えないのは、そういう自分の癖みたいなものに真正面に向き合えたのが去年(30歳)でさ、まだそういう自分を成長させてる段階だからなんだよね。笑えないってか、茶化せない。
去年向き合ったときは「もう今度こそ逃げられないな」ってのが、はっきりあった。仕事での出会いだったんだけど、過去最高におっかなかった。なんでまた、めっちゃ怒鳴る人と巡り合ってしまうんだろうって思ったけど、「こいつラスボスだな感」がすごかった。
あんまり描写するとあれだからあれだけど、本当に怖かったんだよ、仕事のことで電話してたんだけど、たまたま相手は酔ってて、その弾みか何かをまくし立てたれて、ひたすら「はい、はい」と硬直してたら、なぜか瞬きの間に、背中から手が入ってきて胃を一握りにされるような映像が見えたと思ったとたん、ダイレクトにぎゅうううっと痛くなって、オエオエだった。
でその人に、どう向き合ったか。後日ちゃんと会う機会があって、そこで「そういうの怖いんです。無理です」って言っただけ。「怒鳴られると怖い」って、ちゃんと相手に知らせただけ。こうやって書くとすごく簡単なことなんだけど・・・ほんとに、それをいうことすらも怖かった。当日も会う前に道端で吐いた。でも「ここで逃げたらまた同じようなことが起きる」って、絶対逃げられないって思ってた。
初めて「怖い」って伝えたとき、すごい楽になった。相手は「え、そうなんだごめん」ってなって、話し合ううちにただのディスコミュニケーションだったんだってやっとわかった。妄想ではすっかり鬼だったけど、ちゃんと向き合えば、出会った当初みたいに、優しい人でもあった。仕事は断ったけど。
もしかしたら過去のケースもそうだったのかな、そうしたら、私はただ逃げてしまって、相手はわけわからなくて困ったんだろうなって。そこまでやっと想像できて。
その日はすっごい解放された実感があった。まじサンタマリア。
それ以来、仕事でも普段でも、「あ、なんか怖い」って思ったら自分がビビってることを正直に相手に伝えるようになった。「そうこられると、勝手に妄想しちゃってあなたのことが怖くなる、だからこういう風に接して欲しい。私もいい大人なんですけど、すっごいウィークポイントなんです、
恐怖を感じるとパフォーマンス力0になります。今まだ途上なんです、だからお付き合いください」ってちゃんと言えるようになってきた。「力を発揮するためにそれが大事なんです」と。能力を買ってくれる人ほど、理解したり、辛抱強く付き合ってくれたりする。そういう縁に、すごく恵まれるようになった。
コミュニケーションって、案外「言えば伝わること」で、遠慮して言えてないことって多いんだなってこともわかった。特に自分を説明するための言葉自体が、「社会人なのに甘えかな」とか発想させがちなんだけど、むしろ自分の力をちゃんと前に出してくためには、NGをちゃんと伝えるべきときがある。
そこを一歩踏み出して「ごめんなさい、混乱してます」「パニックです」「だからこうして」って、ちゃんと助けてって伝えて、それで突き放す人ってそうそういない。だから相手に合わせるばかりなのをやめて、自分のペースをちゃんと守るようにしたら、怒鳴ってくる人との出会いが本当になくなったんだよね。
あのころは、もう怒鳴られると「私が悪い悪い悪い悪悪」ってモードでわけわかんなくなって、ひたすら自分を責めて、でも納得いかなくて胃腸壊して逃げる、しかやりようもなかったんだけど。まあ怒鳴ってくる相手にも当然理由もいっぱいあるんだけど。
かなり後になって、友達に「いや弥恵ちゃんて明るいし強そうだから、確かに『こいつ怒鳴っても平気だろ』ってされやすい感じはあるんだよね」って言われて、超絶盲点!!!とか思った。(だから中高とやたらと私だけ怒られたりしてたわけ。。。。!? そのあと先生に楽屋裏みたいなノリで『ごめんなだけどお前は目立つから』とか言われてほんと大人って怒怒怒な青春)
んで25くらいの自分の写真見返したら
確かになんか強そうかも。。。(↑左)
結局、感情を抑えられなくて他人に怒鳴るのって、私は、「どっかでこの人、甘えてるんだよな」って思う。「こいつには怒鳴ってもいいや」とか「怒鳴ればいうこと聞くだろ」みたいな。その安易さに、甘えてる感じをどうにも受ける。
ただ、私は「私そのものであるための領域」を持っていて、それを不躾な態度で破られるのがたまらなかったんだと思う。なら「出直してください」っていう権利が、こっちにちゃんとあるはずだと。
そう思えるようになったら、逃げながらもどっかで「許せねえ」って思ってた気持ちも、なくなった。
でもじゃあ、
過去に遡ってあの時点で逃げないでいられたか?
って思うとやっぱり無理なんだよね。
なんども失敗を繰り返して、
パターン化されてくると
やっと見えてくる自分の癖もあって。
だから30歳になって
やっと向き合えたのにも、
ちゃんと意味はあったなあと今も思う。
結局、
私は逃げるのが一番ダメージなんだろうな。
それはやっぱり影みたいにずっとあって
呪いのような力があったから
向き合う方が、私には楽なこともある。
だから「強いね」って言われるんだろうか。
いや全然ビビリなんだけど。
普通に怖いわ。
勘弁してくれ。
(; ;)
ただ、
向き合ったらやっと開く扉があるのは確かで、
そこを潜ったら、
「あれ?
全然怖いことないじゃん」ってなれるのも確かで。
私は別に強くはないと思うけど、
向き合う筋肉は鍛えつつあるかもしれない。
どんどん楽になっていってる感じもある。
だから次もしまた怖いことがきたら
フルスピードで逃げながら逃げながら、
「今なら行けるかも、
これ以上は逃げるのが辛い」って思えたら
また向き合おう、それがずっと先でも、って思う。
よかった、一個でもちょっと書けたわ。

続きます。